さよなら前奏曲
風が気持ちいい。木々や草花が風に揺られてさわさわしているのもいい。
空気もとてもきれい。お天気もいい。午後になった今、太陽はまだ私にたっぷりと日を注いでくる。
畑の真っ赤に熟れたトマトは丸々としてとてもおいしそう。どこかで泣いている小鳥のさえずりも聞こえる。
私はそれらを木陰で感じながらただぼうっとしていた。
でも、もうすぐこの優しい時間が流れる場所ともお別れなのだと思うと胸がいっぱいになる。
初めてここを離れなくてはいけないと知った時はひどく泣いた。
いっぱい泣いて、泣いて、泣いた。悲しかったつらかった切なかったどうしようもできないのがくやしかった。
それでもいつか涙は止まるもので、それ以降、私は少しも泣かなくなった。
何かするわけでもなくただなんとなくその日をやり過ごす。
彼はいつでも優しかった。泣いている時はそっと私を慰めてくれた。
ぼうっとしているときは静かに傍にいてくれた。本当に、優しい人。
私は底抜けに明るい太陽みたいな彼が大好きだった。
違う、今もちゃんと好き。だからこそ、一緒にいてはいけなかった。
彼は人の形をしているけれど、私とは違って々人間ではない。
彼は私が愛する土地、国そのものだ。長い歴史の中に生まれ、長い歴史の中を生きてきた。
きっとこの先もそうなのだろう。私を乗り越えてまた先へと進んでしまう。
それは仕方のないことだし、ちゃんとわかっていた。でも今日の話はそれではない。
時間はまだたくさんあるのに、さよならをするなんて残酷だ。
あと数時間もすれば日が落ちて、辺りが暗くなって、月が出て、今日が終わる。
そうしたら、私と彼―――スペインとのお別れの時がやってくるだろう。
今日もいつもと同じように空は綺麗だった。スペインも、綺麗だった。
私はついに、貴重な時間を前日まで全て無駄にしてしまったのだった。